なぜアイドルオタクは「ボヘミアンラプソディ」にハマるのか

・「ボヘミアンラプソディ」がアツい。

・動員数がスゴイ!

・リピーターが多い「ボヘミアンラプソディ」、人気の理由は?


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映画「ボヘミアンラプソディ」の公開から約3週間、想定以上の(?)人気に、各種メディアでもこの作品の人気の理由などが語られ始めている。

 

その波はツイッターでも同様で、「ボヘミアンラプソディ」で検索をかけた時のヒット数は減ることがない。

中でも気になるのが「アイドルオタク界隈」での反応のアツさ。

 

映画公開初日から"アイドルでも俳優でも、舞台で何かを表現する人を好きになったことがある人は観た方がいい"というような内容のツイートを多く目にした。

私も全く同じように感じていたし、関ジャニ∞というアイドルグループを好きでいる者として感じたことをツイートやブログで言葉にもした。

 

ボヘミアンラプソディ」は、「何かを表現する人」を丁寧に描いた作品だと思ったからだ。

 

私はこの「ボヘミアンラプソディ」にハマりにハマって、これまでに計5回、「ボラプ」を劇場鑑賞したのだけど、回数を重ねていくうちに1つ気付いたことがある。

 

それは、映画の冒頭からラストまで、主人公フレディの周りには必ず誰かしらがいる、ということだ。

 

映画全体を通して、主人公フレディから感じ取れるキーワードは、

"孤独""孤高""才能""自信""愛情"…だったりしたのだけど、

 

中でも"才能"と"孤独"はこの作品中のフレディを形容するイメージに近いのではないかと思っている。

 

そんな"孤独"を感じさせるフレディなのに、作品中の彼の周りには冒頭からラストまで、常に誰かがいる。

家族、恋人、メンバー、マネージャー、スタッフ…、そしてファン。

 

そして、フレディは常に誰かから愛されている。

 

それなのに感じる"孤独"感。

 

この、常に誰かに必要とされて、常に誰かが周りにいる「スター」や「アイドル」という人達の"状態"。

メンバーに愛され、ファンに愛され。常に誰かに愛されてるのに、常に誰かに必要とされているのに、「埋まらない」空気。

 

もしかしたらわたしは、これを「スター」や「アイドル」の向う側に感じていたのかもしれない。

 

その、無意識下で薄々感じていた空気感を、映画というかたちで生々しいまでに映像化されてしまって、わたしのようなオタクの心は揺り動かされたのか。

 

ボヘミアンラプソディ」には、有名なラスト20分の他にも様々なライブシーンが織り込まれている。

その様々なライブシーンでは、彼らがファンからのレスポンスを受ける場面がある。

 

作中ではそれが大小のターニングポイントとなるのだけど、

その時こそが「埋まらない」感が、がっつり「埋まる」時 だったように思う。

 

ステージからのパフォーマンスや歌声にダイレクトに返ってくるファンのレスポンス。

これは、舞台で何かを表現する人を好きになったことがある者なら殆どが経験したことのある「瞬間」だ。

この時の現場の高揚感、気持ちの報われ具合い…は、例えようがない。

それを、「ボヘミアンラプソディ」ではフレディという「舞台で何かを表現する人」の目線で感じさせてくれた。

 

言わば、これは"答え合わせ"だったんではないだろうか。

私たちファンが、ライブであの瞬間に感じていた気持ちは、「舞台で何かを表現する人」と合致していたんだ…、という答え合わせ。

 

その他にも、この「ボヘミアンラプソディ」という作品の中にはたくさんの"答え合わせ"がある。

 

まずは、メンバー。

フレディという才能、個性…を時にぶつかりながらも正直に愛していることが分かる数々の場面。

レコーディングの時の子供同士のような笑顔。

互いの才能をリスペクトし合う空気感。

病気を告白した時の涙。

ステージで、フレディの気合いの「エーオ!」に思わず顔を見合わせて微笑む表情。

 

Queenを知らなくても、何故か「ああ、彼らは実際こうだったんだろうな…」と思ってしまうような気持ちが芽生える。

アイドルオタク的には"ライブDVD"や"メイキング"を見ている時に、(こういう瞬間がたまらないんだよ!)と思える瞬間が、様々な場面に散りばめられている。

オタクが思う「"メンバー"という存在の素晴しさ」の答え合わせだ。

 

続いて、スタッフ。

 

ああ、スタッフに愛される…って素敵だな。

「ライブエイド」で思わず笑ってしまったり、音楽にノリノリになる会場スタッフ。

ライブシーンに挟み込まれる彼らの様子を見て、(そりゃあ、彼らなら愛されるよなあ!)と、自分の気持ちをスタッフの反応に照らし合わせて答え合わせがされる。

 

 

そして、ファン。

 

ライブエイドで、この上なく盛り上がるファン。

性別年齢関係なく、現場にいるファンも中継を見守るファンも純粋に音楽に盛り上がる。

わかる。わかるよ。そうなるよね。

Queenの音楽を聴きながら、隣にいた人と思わず肩を組んでしまうファン。

わかる。わかるよ。

最後、涙が出てきてしまうファン。

わかる。わかるよ。

 

この映画の多くを占めるライブシーンにおける「ファン」の描写は、全部「あの時の自分」なんじゃないだろうか。

ライブシーンだけではない。

病院で「エーオ」と声をかけ、フレディの小さな「エーオ」に微笑んだあの少年も、ある意味「いつかの自分」、なのかもしれない。

 

この映画に多く挟み込まれる「ファン」の描写は「あの時の自分」の反応や気持ちの答え合わせでもあったのかもしれない。

 

そして、この作品を見終える頃、最大の答え合わせが出来る。

「ライブってやっぱり最高だよなあ!」と。

 

その気持ちをリードして確信に変えてくれたのは紛れもない、Queenという伝説のバンドの圧倒的な魅力に他ならない。

 

あの時代だからこその、空気感。

音楽もビジュアルも、ファンのノリも、今とは違う。今では絶対に手に入らないものの美しさや力をQueenは教えてくれた。

 

でも同時に、

今の時代に生きる「舞台で何かを表現する人を好きになったことがある者」も大切にしてる"宝物"に改めて気付かせてくれたのが、この「ボヘミアンラプソディ」なのだと私は思った。